2019年3月31日日曜日

研究:アニメーションで理解する自動撮影カメラの撮影頻度を密度指標とすることの問題点とREM



 先日の生態学会の発表スライドで,初めてアニメーションを使ったプレゼンをやってみた.自動撮影カメラの撮影イベントがどのようなプロセスで決まっているのかを説明するためのものだ.作成は,Rのパッケージのその名も「animation」を利用した.便利なもので,非常に簡単にGIFアニメを作成できる.install.packages("animation")CRANからインストール可能だ.

 残念ながら,せっかく作ったものの,アニメーションは論文の図として使うことはできない.今,昨年の哺乳類学会・奨励賞の受賞原稿を哺乳類科学から依頼されて書いている.その中で,撮影頻度の決定プロセスを説明するくだりがあるのだが,紙媒体ではアニメーションを再現できない.何ともじれったい気分になる.文章で長々と説明するよりも,はるかに視覚的に捉えた方が分かりやすいのにと思ってしまうのだ.アニメーションを実際に見せる機会が,今回のような学会発表やゼミなどだけに限られてしまうのも,私としても,もったいない気もする.頑張って作ったのに,限られた時間では「じっくり眺める」ということをしてもらいにくいからだ.せっかくなので,同じアニメーションをここで掲載して置くことにしよう.

 アニメーションで示したいのは,動物の撮影イベントは,どのようなプロセスで決まっているかということである.より具体的には,ある期間における動物の撮影イベントの回数(撮影頻度)が,動物の密度に加えて,撮影可能な面積と動物の平均移動速度によって決定されることを視覚的に示したい.図中の三角形が自動撮影カメラの撮影面積(動物がこの中に入ったら撮影されるという検出エリア)を示しており,線はそれぞれの動物の移動の軌跡を示す.動物が検出エリア内に入ったら黄色く点滅するようにしている.




 動物の移動は,Biased random walkと呼ばれるもの.各ステップの移動距離はランダムに決まるが,移動角度は行動圏の中心に巣串だけ高い確率で向かう方にバイアスをかけている.ステップ間の移動は直線となることを想定している.各ステップにおける動物の位置座標を結んだ直線が,検出エリア(今回は正三角形)を横切るかどうかをステップごとに判定させている(これを実装するのはかなり面倒.必要なのは高校数学だけだけど).

 さて,アニメーションの見方を説明したうえで,本題に入ろう.下の図は,上の図と比べて検出エリアの正三角形の一辺の長さを上の半分にしたもの(動物の密度と動きは変えていない).至極当然のことであるが,上では撮影されているのに,今回は撮影されていないということが約半分の頻度で起こっている.「半分の頻度」かどうかは,この図からは分かりにくいかもしれないので,改めて別のアニメーションで示すことにしよう.



 次に動物の移動速度(各ステップ間の距離)を2倍にしてみよう.検出エリアの面積は1番目と同じにしている.動物の密度もやはり同じだ.アニメーションを眺めると,明らかに黄色が点滅する頻度が増えていることが分かる.実は2倍に増えているのだが,この図では少し分かりにくいかもしれない.



1~3番目の累積撮影回数をアニメーションとして図示すると以下のようになる.黒が1番目,赤が検出エリアを小さくした2番目,青が移動速度倍の3番目だ.どれも動物の密度は同じなので,撮影頻度は,検出エリアのサイズと動物の移動速度にも依存していることが分かる.



実はこの3つのパラメータ(動物の密度D,検出エリアの正三角形の一辺の長さL,動物の移動速度V)の撮影頻度Yへの影響は等価であり,以下のような関係性が成り立つことが確かめられている.

Y = D × L × V

物理学における「ガス分子モデル」(ガス分子同士の衝突回数を予測するモデル)と等価なものである.個体識別のできない動物を対象にした,自動撮影カメラを用いた密度推定方法を最初に考案したRowcliffe et al. (2008)は,このモデルをRandom encounter model (REM)と命名した.Rowcliffe et al. (2008)は検出エリアを半径r,中心角θの扇形と想定したので上より複雑な式になっているが,発想はこれと全く同じものである.補足しておくと,この関係式は,「動物がカメラと無関係に動くこと」を必要としているが,「動物の動きがランダムであること」は必要としない.実際には,カメラをランダムに配置しておけば,(動物の移動速度が既知な場合)この関係式から密度を推定できることになる.

以上,(いろいろ細部ではごまかしがあるものの)撮影頻度を密度指標にすることの問題点とREMの分かりやすい?説明になっていると思う.
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2019年3月24日日曜日

覚書・日本生態学会第66回大会(3/15-19)後半

生態学会備忘録続き.

3日目


 3日目は前日に飲んだこともあり,のんびりと出発.今日のメインはポスター発表を聞くことと昨年度参加して非常に楽しかった自由集会「W27 間接効果を通して見る世界:(2)生態系から見た間接効果の『ごりやく』」への参加.
 
 ポスターは一通り見て回った後,面白いのを集中的に見る.ポスターは説明してくれるのはうれしいし理解はしやすいけど,大体のことは見たらわかるので,分からない点だけ質問に答えてくれるスタイルが一番あり難い.もちろん,一生懸命発表しようとする熱意は素晴らしいと思うのだけど.以下,興味を惹かれたポスターをいくつか.

P1-075 ヒグマの掘り返しに餌密度と植生タイプが与える影響
 セミのバイオマスって結構すごくて,幼虫・成虫を問わず生態系に大きなインパクトを与えていると思っているんだけど,なかなか実証的に示した研究が少ない.このポスターでは,ヒグマが地面掘り返して土壌動物食べてるんだけど,結構セミを食っているのではないかという話があった.掘り返しのもたらす間接効果も含めて研究するのは面白そう.人気で話は直接伺えなかったが,機会があればいろいろ質問したいことが多かった.

P1-082 野生コウモリは他個体に餌場を譲るのか?~音響情報から探る互恵的利他行動の可能性~
 これまた人気で,ポスターさえちゃんと見られなかった.互恵的利他行動といえば,霊長類の毛づくろい(これはショボい話だけど)とチスイコウモリの血の吐き戻しと相場が決まっているが,他のコウモリでも互恵的利他行動があるのではないかという発表だと思う(多分).ただし,トリバース的な互恵的利他行動の進化条件は,「与える利益よりも損失の方が小さいこと」,「裏切り者に対する制裁システムがあること」の2つが必要で,後者を成り立たせるためには,「互いに個体を認識していること」,「長期的に関係性が継続すること」などが必要条件だったはずだ.そこまでの情報を野生コウモリを対象に取得できたのだろうか?機会があれば,話を聞いてみたい研究だ.

P1-086 熱帯山地林におけるボルネオヒゲイノシシの標高間移動
 昔からよく知っている京大の長野さんの発表.ボルネオ島キナバル山の南西?側に,低地から高地まで,数年間にわたって自動撮影カメラを置き続けた研究の集計結果.標高移動をしていることが非常に明瞭で,カメラから移動パターンを推測できる極めてまれなデータ.ボルネオに生息するヒゲイノシシは,混交フタバガキ林の一斉結実時には,結実ピークを狙って大規模な移動を示すことが知られている.恐らく餌資源量の変動に応じて生息する場所を変化させる種なのだろう.毎度彼女の発表を聞くたびに思うが,面白い生態学的な現象を見つけるのは本当にうまい.多分生まれながらのセンスがある.もう少しデータの提示や統計処理を工夫すれば,非常に興味深い研究を量産できると思う.

P1-211 甲虫体色の適応進化―3Dプリンタ模型を用いた警告食の検証

 3Dプリンタが世に出回るようになってしばらくたつが,生態学の分野でうまく利用した研究はそれほど多くない(多分).この研究では,マイマイカブリの体色変異が捕食に与える影響を,3Dプリンターで製造した模型で明らかにしようとしたもの.模型を使うことによって,視覚的な違いのみをうまく取り出せる反面,(例えば構造色といったものまで)本物を再現できているか分からないという限界はありそう.ただ,3Dプリンタという新しい機器をうまく利用した新しい試みで見ている側は非常に興味を惹かれた.こういう新しい挑戦をどんどんやると生態学は最も面白くなりそう.

P1-407 待ち行列モデルの自動撮影カメラにおける哺乳類の相対密度指標評価への応用

 自動撮影カメラに関わるシミュレーション研究.群れ動物を対象に撮影頻度(この研究では,撮影間隔の逆数)を用いるとどういうバイアスがかかるかをシミュレーションしている.通常のRAIと,撮影回数を総撮影個体数に置き換えた密度指標(RIAI)への影響をグループサイズを変えながら検証していた.学部生がこういうシミュレーションをあっさりとできる時代になってしまったことに時代の変化を感じる.バイアスをどのようにすれば解消できるのかまで提示できれば,さらに可能性が広がると思う(なかなか難しいだろうけど).

 この他にも 面白い発表が多数あった.この日発表していたのは皆大学院生のはずなので,今後のさらなる展開が楽しみである.午後からは,いくつか口頭発表を聞いて勉強.やはり情報量が多い発表でもしっかりと整理されていると理解できるもので,発表技術という点でも学ぶべきところが多かった.例えば,京大農の昆虫生態の方がシデムシのbeggingについての話をしていたが非常に楽しみながら聞けた.もちろん研究結果自体も優れているのだが,研究の前提と得られた結果・知見を端的に伝えてもらえると分野が違っても楽しめる!

 発表を終えてポスター会場に戻ると嬉しいニュースが.元大学院生のHさんが動物群集部門のポスター最優秀賞を受賞したとのこと.彼女の研究は私もかなり期待していて,色んな発展性を備えていると思っている.いろいろと事情もありポスター作成に十分な時間をさけたわけではなかったのだが,地道な努力が実を結んだということだと思う.今後さらに努力していい研究をしてほしい.

 夕方は,楽しみにしていた「W27 間接効果を通して見る世界:(2)生態系から見た間接効果の『ごりやく』」に参加.それぞれ充実した研究発表だった.ただし,正直に言うと,発表によっては「間接効果」というキーワードとの関連性が必ずしも明示されておらず,こちらがかなり想像を働かせないと自由集会のテーマとのつながりが分かりにくいものがあった.「間接効果」という視点で生態系を見るということを集会の趣旨とするならば,それに見合った形の話し方をしてもらえると聞いている側は助かる.昨年度の発表が初心者(例えばうちの研究室の学生・院生)にも親切な発表ばかりだっただけに,少々期待はずれな面はあった.

4日目


 3日目と同じくのんびり参加.ポスター発表を聞きに行く.前日とは異なり,ドクター持ちによる発表が多いので,研究内容も充実したものが多い.房総の過去の植生履歴についてや,マムシグサの送受粉,マダガスカルのヘビ,地球温暖化緩和策がもたらす生物多様性への影響,イノシシの密度指標など,知り合いや興味のあるテーマの発表を中心に聞いて回る.本当はもっと聞いたり見たりしたかったのだが,さすがに疲れてきて途中で休憩.学会が終わってから要旨を見直すと,もうちょっと頑張って聞いておけば良かったと思う発表が多くて後悔...翌日の自分の発表準備が終わっていないので,受賞講演は最初だけ出てホテルに戻る.


5日目


 最終日に,自分と指導している学生の口頭発表.仕方がないことだが,最終日に発表というのはどうも落ち着かない.会場についてみると,意外に盛況だった.最終日だし生態学会会員がそれほど興味を持ちそうにないと思っていたので少しびっくりした.やはり最近は,社会実装に関連するような研究テーマの方が聞きに来る人の数が多くなるのだろうか?発表は一度聞いたことのある内容が中心なので,それほど新しい発見はない.自分の発表は若干時間をオーバーしたものの卒なくこなせた(と思う).トップバッターだった東大のY君は,初めての学会発表とは思えない落ち着きだった.

 いくつか私のRESTモデルについても(本質的な)質問を頂けた.また,司会のM先生からは,「RESTモデルは困難な大型動物密度推定を大きく前進させた」という趣旨のコメントを頂いた.尊敬するM先生の思わぬ発言だっただけに,正直うれしくてにやにやするのを我慢するのが大変だった.ただし,RESTモデルは決して万能なアプローチではなく,満たすべきいくつかの条件と大きな制約もあるということは注意が必要だ.今後はモデルや推定値だけが独り歩きしないように, その可能性と限界についても周知させていく必要があると感じた.

 集会後,学生のY君が房総のイノシシの生活史パラメータの推定について口頭発表.直前までモデルについて二人で悩んでいて発表は練習不足だったが,堂々と発表できていた.自分の言葉で語れたのは,自分で理解し考えたことの一つの成果だろう.横浜から見えていたお母さんもきっと評価してくれたのではないかと思う(笑).学会終了後,ヒョウの研究をしているという学生の相談を三宮の喫茶店で聞く.ちょっと変わった子だけど,研究に対する情熱を感じたので真面目に相談に乗る.フィールド的に制約が大きいだろうが,何とか頑張ってほしい.長い長い5日間を終えて明石の実家に向かう.いや…さすがに疲れたわ.

2019年3月21日木曜日

覚書・日本生態学会第66回大会(3/15-19)前半

 3月15日から19日まで神戸国際会議場で日本生態学会が開催された.私は自分を「哺乳類学者」ではなく「生態学者」(の端くれ)だと 思っているので,所属するメインの学会である.少々規模が大きすぎて,とても全体を把握することはできないが,賢い人がたくさんいる刺激に満ちた学会であることは間違いない.学会には,「当たり」の年(自分の好奇心をかきたててくれる発表が多い年)と「外れの年」がある. もちろん,私個人の主観による印象に過ぎないが,今年はどちらかというと「外れ」だった.それでも,色々と学ぶところが多かった.備忘録を兼ねて,私が興味をひかれた発表を中心に5日間を振り返っておきたい.

1日目

17:00からの自由集会から参加するつもりだったが,学生のポスター作製の手伝いをしていて出遅れた.18:45からの「W09 個体群生態学の基礎理論と行列データベースはどこまで発展したのか?」 に参加.内容はシンプルで,推移行列モデルの発展史についての概説と,マックスプランクによる生活史パラメータのデータベースCOMPADRE(植物), COMADRE(動物)の紹介.データベースを使った一歩進んだ研究紹介があったわけではなかったが,国環研の共同研究者がこのデータベースを使っていると聞いていたので,概要が分かって良かった.終了後,偶然会場で出会った旧友のHさん,Tさんと三宮でちょっとだけ飲む.二人とも元気そうで何より.

2日目

朝は,「S01 群集生態学のこれまでとこれから」を聞く.企画者の一人は,ポスドク時代によくお邪魔していた研究室の学生だった人.すごく活躍しているようで,素直にうれしい.発表も面白かった.まだアイディア段階で実際のデータ取得や解析はこれからということで楽しみ.ただし,シンポ全体に話が難しい.群集生態学全体の最先端を統合的に語ろうとする野心は勇ましいが,話の焦点が絞り切れていない感じもあって,聞いている側からすると少々つらい.今回の生態学会全体に感じたことでもあるが,群集生態学を統合した理論構築は近い将来確かにできるかもしれないが,それって,我々が見る自然に対する直感的理解を本当に促進するものなんだろうか?生態学の辺境にいる私はちょっと戸惑ってしまった.

 午後からは口頭発表を聞く.ナナフシの卵の鳥による分散など面白い発表が多かった.ちゃんと遺伝子まで見て,移動能力が低いはずなのに結構分散してそうであることを示したのはさすが.ヒヨドリとかが食べると,それなりの距離を運ばれるということなのだろうか?質問されて答えていたが,ナナフシの卵が種子みたいなこと自体は鳥による分散と直接の関係はなさそう.キジバトみたいなのが食べると,さすがにナナフシの卵も壊れてしまうだろうから.同じ会場であった工業用内視鏡で明らかにしたウマノオバチの産卵生態の話も純粋に面白かった.生態学の面白さは,こういう個別の現象の魅力があって支えられているのだと改めて思う.

 この他にも,口頭発表は楽しい発表が多かった.東大の高木さんのサーキット理論を用いたサンショウウオの移動解析,生息地の連結性の持つ意義の解明は,方法もエレガントだし結果も美しく,素晴らしい研究だと感じた.確かに,サンショウウオは複数の景観を行き来するので,生息地の連結性の重要性を示す上でも最適な材料だ.農研機構の今野さんという方の「キャベツがモンシロチョウから大被害を受ける理由」という発表も興味深かった.要はモンシロチョウの幼虫がキャベツを食べると異常な成長速度を示すということなのだが,それがモンシロチョウ側の特殊性なのか,キャベツ側の特殊性なのか,その両方なのかについて,実証データが溜まってくるとさらに面白いと思った.もともとこの研究は,「世界はなぜ緑か」という有名な生態学上の問い(Green world hypothesis)に端を発したものだが,これについての推理モデルをすでに発表されているらしい.Ecological Monographに掲載されているらしいので,読んでみたい.酸素安定同位体比を用いた種子の標高移動の話も順調に発展しているよう.日本発の大きな成果を期待したい.

  夕方からは,「W12 メタゲノムを用いた微生物群集の多様性:探索パターン解釈からの課題と展望」に参加.学生が行っている微生物データの解析の参考になればと思って参加したが,「情報の精度と量にトレードオフがある」という当たり前のことが分かっただけだった.もちろん,多くを学べなかったのはこちら側の不勉強に原因があるわけだが,OTUデータ自体に大きな制約があるので,次世代のデータを使って生態学的に意味のある解析というのは原理的になかなか難しいのだとも感じた.

 最後の集会の時間は,ちょっとだけ「W25 生態学若手企画:研究の魅せ方,伝え方を考える」の様子を除く.若い人が積極的に自分の研究の魅力を伝えようとしているのは偉いと思う.東大の学部生がカメラを使って演習林でデータをとっているという話があった.かなりの台数を置いていて,Occupancy modelで解析って.どういう研究なのか詳細を知りたい...

 途中で抜けた後は,学生2人を連れて,昔からお世話になっているSさんと久しぶりに会う.相変わらず多忙な様子で,次の日にはインドネシアに行くそう.しばらく会っていなかったが,仕事ぶりや話す雰囲気が変わってなくて安心した.学生にもしっかり発表の問題点を指摘しながらエンカレッジしてくれるのであり難い.近くにいるので,もう少し会う頻度を上げてもらおう.

2019年3月2日土曜日

読書の感想:高野秀行著「幻獣ムベンベを追え」(集英社文庫)


 ポスドク時代にアフリカで取ったデータを使って,一通り論文の原稿を書き上げた.何年も前に取ったデータをいまさら論文化しているのは恥ずかしい限りだが,昔に比べると論文を書くスピードもいつの間にか上がっているのを実感する.アクセプトまでスムーズにいくことを期待しよう.


 さて,今回は,その論文の話ではなく,先日読んだアフリカ関連の本の感想を書いておきたい.アフリカというのは、普通の日本人にとって、精神的に最も遠い距離にある大陸だろう。サハラ以南,いわゆるブラックアフリカの国々となると、「現地に住む人々の暮らしや風土、あるいは文化はまったく想像できない」という人が多いに違いない。


 それは、私にとっても大きくは変わらない。ポスドク時代の4年間、一年の半分近くを中央アフリカの「ガボン共和国」で過ごした。中央アフリカの人々に接した物理的な時間は相当程度に長い.しかし、彼らのことを理解できたという実感はまるでわかない。私の中に残っているのは、ガボン人に対するネガティブな印象だけだ。私の「アフリカ体験」は、心の中にうまく居場所を見つけられないでいる。


 そんな私でも、ガボンを含む中央アフリカの国々が本や雑誌で取り上げられていると、やはり興味を覚えて手に取ってしまう。アフリカ人に対する我々のまなざしを正面から捉えた硬派な本は読むのはしんどいが、もう少し気軽な体験記は私の読書範疇内にある.


 今回読んだ高野秀行著「幻獣ムベンベを追え」(集英社文庫)という奇妙な探検記も、コンゴ人民共和国(というガボンの東側にある国)を舞台にした愉快な(はずの)探検記だ。高野氏は、知る人ぞ知る「辺境専門のライター」。世界の様々な辺境に出かけて行った体験をそのまま描いているノンフィクション作家だ。私も、何冊かの本を読み、暗さも深刻さも微塵もない痛快な内容にすっかり魅せられてしまった。そんな高野氏が,学生時代,コンゴ奥地の湖に生息する謎の怪獣「モケーレ・ムベンベ」を探しに行った顛末を記したのが,この本だ。


 私は、オカルト的なものには興味はない。いくらコンゴ盆地という未開の地だからと言って恐竜の生き残りが潜んでいることもないだろう(私より一世代前の人たちが、なぜあれだけオカルトに熱中できたのかということは社会学的に非常に興味深いことだとは思うけど)。しかし、のちに世界各地の辺境を訪れることになる高野氏が、中央アフリカの密林とそこに住む人々をどうとらえ,何を感じたのかには非常に興味を覚えたのだ。


 読んだ感想を一言でいえば、奇妙な共感を覚える本だったということだ。


 高野氏一行は、モケーレ・ムベンベに出会うために,最寄りの村から50㎞以上離れた場所にキャンプを構え、湖の観察を続ける。その間の生活はまさに波乱万丈だ.一緒に行った探検仲間の体調不良,ガイドとして雇った村人とのいさかい、現地の動物学者という悩ましい存在、計算して持ってきたはずなのに足りない食事(もちろん一部を盗まれたからだ)、疲れからくるモチベーションの低下、そして何より目的を達せないまま終わる結末のあっけなさ…。こうした体験は、私と後輩がマンドリルを捕獲(もちろん研究のためにガボン政府から正式に許可を取ってあった)するために格闘していたころとかなり共通する。


 例えば,首都から連れて行った現地研究者と村人の対立について、高野氏は次のように表現している「われわれが知らないうちにトラブルが発生、進展し、最後はこちらに火の粉が全面的にふりかかるといういつものシステムである」。この感じ,わかる人にはわかってもらえるはずだ!


 マンドリル捕獲体験じたいは私の中で今となってはいい思い出だから、この本でそれを「追体験」できるのは楽しいことだ(「マンドリルを捕獲できる確率なんて,モケーレ・ムベンベ見つけるのと大して変わらない」という皮肉を言いたくなる気持ちはさておき)。しかし,読んでいて少し辛いのは、この本の中に出てくるコンゴの村人たちが,ガボンで出会った村人たちとそっくりなことだ。頼んだ仕事を満足にしてもらえなかったり、法外な謝金を要求されたりすることはどこの国でもあることだろう。だけど、(高野氏はさらりと書いていることだけど)次のような描写に、私は、自分の見たガボンの村との共通性を感じてしまう。


 いよいよベースキャンプを撤収するため、ポーター(荷物運びとして雇った村人)がキャンプに迎えに来る。そのとき、「(前略)、陳情ラッシュが始まった。まず、ポーター間に起きたもめ事が私のところに持ち込まれる。そんなことは私の管轄外だというのに、少しでも自分の立場を有利にしようと入れ替わり立ち代わり「ちょっと話がある」と言って、やって来る」(p256)。


 目に浮かぶようだ。彼らは、どう考えても自分たちで解決しなければならない村人同士の問題を、必ず部外者の「白人(日本人を含む)」に訴え解決してもらおうとする。(少なくとも白人のいる前では)自分たちで話し合って問題を解決しようとすることをハナから放棄してしまうのだ。彼らには、自分たちの力で村人同士の関係性の秩序を形成・維持する力が決定的に欠けている。


 こうした究極的な意味での白人依存が、どのような背景で生まれたのかは私にはわからない。過去の植民地時代の白人との関係や独立以降の政府と村人の関係が影響しているのかもしれない。高野氏の本に書かれているいくつかのエピソードからも、おそらくガボン共和国内だけではなく、中央アフリカのかなりの数の村々で,自前の秩序維持機構が失われてしまっているのではないかと思えてくる。

 この本に登場する学生たちの爽快な姿とは対照的に、私はこの本を読んで(もちろん本自体は痛快な探検記なんだけど)中央アフリカの村々が抱える闇の深さを感じさせられてしまった気がした。