先日,北海道新聞に,北海道二海群にある日本大学八雲演習林において「白いヒグマ」(以下,白色個体と呼ぶ)が撮影されたという記事が出ました.我々の研究室が設置した自動撮影カメラに映ったものです.ヤフーニュースにも掲載されたこともあり,一部のテレビ局等でも白色個体の映像が放映されたようです.報道された直後には,マスコミ各社からこの件についての問い合わせが相次ぎました.
正直に言うと,私は今回の報道を苦々しく見ています.過去にも様々な種に対して「白い個体が見つかった」という報道がなされています.「白」という色自体に世間が肯定的なイメージを持つこと,白色個体は比較的稀にしか見つからないこと,動物の体色について報道しても誰も傷つかないことを考えると,白色個体の発見の報道自体が,必ずしも悪いことだとは私も思っていません.しかし,ヒグマに関しては,過去に不思議な報道がなされたこともあり,今回の件をマスコミに流すことには一貫して慎重でした.さまざまな事情(お察しください)から記事化されることが決まった際にも,私が積極的にマスコミに流したと思われるのを避けるために,私の名前を出さないようにお願いしてきました.
私は,「八雲における白色個体の発見」が,報道されているような「驚くべき」現象であるとは思っていません.また,一部で報道されている(されてきた)「専門家」のコメント等にも疑問を持たざるを得ないものが含まれていると考えています.残念ながら,なぜ私がそう思うのかをマスコミ関係者に説明しても,全く興味を持たれることはありませんでした.今回のような報道は,「世間的には一瞬のうちに忘れ去られ,なかったものになっていく」のは重々承知していますが,その報道の内容は必ずしも納得のいくものではありませんでした.以下,私なりの見解を簡単に書いておきたいと思います.
1.
これまでの経緯と今回の報道
まず,最初に「白いヒグマ」について,どのような報道が過去になされてきたのかを紹介しておきます.白いヒグマ報道が最初になされたのは,択捉島および国後島において行われた日露合同調査(2009年)によって,両島に生息しているヒグマのかなりの割合が白い毛並みを持っていることが発見されたことがきっかけになっています.私はヒグマの専門家ではないので詳しいことはわかりませんが,過去の新聞記事等を参照する限り,それまで両島以外で白色個体が観察されたという記録はなかったそうです(択捉島および国後島で初めて発見された).その後の文献調査などから,両島には少なくとも百年以上前から白いヒグマが生息してきた可能性が高いことも明らかにされました.
今回の件がニュースとして扱われたのも,「白いヒグマは国後・択捉にしか生息しない」ということが前提となっているからです.確かに,過去の報道のなされ方を含めて考えると,八雲での白色個体の出現が大きな発見だと捉えられることも無理もありません.例えば,専門家によって,国後・択捉で白い個体が多いのは,「『子グマの天敵のオオカミが(両島に)生息した形跡がなく、白い毛だとサケやマスに警戒されにくくて、餌をつかまえやすいからではないか』と、両島で独自に進化した可能性」を指摘され,実際に「択捉両島ではサケの消費割合が本土よりもはるかに高いこと」,「白色個体の方がサケの捕獲効率が高いこと」を示されると,その説明も説得的に感じてきます.また今回の撮影も,「従来の仮説」に反する事例として価値は高いということになるでしょう(ただし,正確には北海道本土において白色個体が発見されたのは今回が初めてではないらしい.また,(以下で見る通り非常に示唆的なことに)クマ牧場でも白い個体が出現することがあるとのことです).
しかし,本当に,国後・択捉などの島嶼部の個体群の体色割合が本土とは異なるという現象は,専門家のコメントにあるように,両島の生息環境に「適応」したことによる「独自の進化」の可能性が高い(以下,「適応仮説」と呼びます)のでしょうか?あるいはそう考える必要があるのでしょうか?こうした説明は,高校の教科書にあるようなダーウィン的な適応・進化に一見適合的で,一般に広く受け止められやすい魅力的な仮説なのかもしれません.しかし,少し落ち着いて考えてみると,この説明には疑問も感じないではありません.例えば,白い個体がサケの捕獲に有利で,オオカミの捕食も誘発しない(オオカミが生息していないので)のであれば,どの個体も白く進化するはずです.実際には,白い個体ばかりがいるのではなく,国後島の白色個体は全個体の1割程度と推定されています.もちろん,「今進化の途上なのだ」という説明も出来なくはないでしょうが,どこか言い訳めいています.また,「黒い個体は夜間,白い個体は昼間サケを襲うのだ」という説明も理屈上できるかもしれませんが,そういうデータが実際に示されたことはないようです.
私は,白色個体が有利に働く状況があること自体は否定しませんが,島嶼部において白色個体が高い確率で出現する理由を,もう少し合理的に説明できる気がします.以下の説明は,一見,適応仮説よりも小難しく,面白みに欠くかもしれません.しかし,一種の「帰無仮説」として生物学者なら絶対に想定する必要のある仮説です.以下のような可能性に言及せず,一般受けする怪しげな適応仮説の間接的証拠ばかりを挙げるのは,研究者の倫理に反するように感じます(もっとも,マスコミ関係者によって,そういう説明ばかりが強調されているだけなのかもしれませんが.いずれにせよ,こういう怪しげな世界に首を突っ込みたくないのが私の本音でした).
2.
適応的な説明は必要か?
では,適応仮説以外にどのような説明が可能でしょうか?結論から言えば,いくつかのありそうな仮定を置けば,適応進化の結果と考えなくてもよさそうです.ここで重要なのは,白いヒグマが多いのは,集団サイズの小さい(あるいは,少数個体の移住から始まった可能性が高い)「島嶼部」の個体群であることです.先に触れた通り,クマ牧場でも白色個体が出現しているのですが,これもやはり少数の個体が交配して出来た集団です.私は,択捉・国後両島の「白色個体の割合が高い」という現象やクマ牧場でも白色個体が出現するという事実は,両者で類似した確率論的な原理が働いた結果だと思います.このことを少し丁寧に説明するために,「いかにもありそうな」仮定を置けば,少数集団における白色個体の出現を再現できることをシミュレーションによって示してみましょう.
①ヒグマの体色は遺伝的に決定
まず前提として,ヒグマの体色は遺伝子によって決まっていると考えます.哺乳類の毛色は,比較的単純な遺伝によって決定されることが分かっているので,これは問題ないでしょう.例えば,マウスの毛色には,主に3つの対立遺伝子が関わっているようですhttp://www.med.miyazaki-u.ac.jp/AnimalCenter/mouseDB/kaisetsu/color.html.ヒグマについては分かりませんが,ここでは,毛色遺伝子は,2組の対立遺伝子(A, a)と(B , b)によって支配されていると仮定します.実際には3つ以上の遺伝子が関わっている可能性が高いでしょうが,関わっている遺伝子数が何個でも以下の説明はそのまま成り立ちます.
②体色アリにする遺伝子が優性,ナシにする遺伝子が劣性
集団中でほとんどの個体が体色アリ(茶色)なので,アリにする遺伝子がナシにする遺伝子よりも遺伝的に優性であると想定しましょう.ここでは,AかBのいずれかがあると通常の茶色になり,aとbが揃ったときのみ白色になるとしてみます.
AABB, AaBB, AaBb, aaBB, AABb, AAbb, aaBb,
Aabb→茶色
aabb→白
すなわち,劣性遺伝子がホモ接合化した場合のみ白色個体になると考えてみます(念のためですが,この優性,劣性というのは,個体の生存率や繁殖力における強弱を表すものではなく,両方の遺伝子が揃ったときにどちらが表現型として実現するかということを示すものだという点に注意してください).
④対立遺伝子頻度は,有性が劣性よりも高い
Aとa,Bとbの遺伝子頻度に偏りがあり,aに対してAの,bに対してBの遺伝子頻度が高いと想定します(すなわち,多くの個体はAやBを持っているが,まれにaやbを持っている個体がいる).ここでは仮に,A: aもB: bも6: 4であると考えてみます.なお,AとBは別の染色体上にあり,連鎖はしていないと考えます.また,雌雄においても遺伝子頻度に違いはないと考えます.
⑤毛色遺伝子は毛色決定のみに関わっており生存・繁殖の有利不利には関係ない
適応仮説のもとでは,白色個体が有利になると仮定していました.しかし,ここでは,白色個体は生存・繁殖にも有利でも不利でもないと仮定します.すなわち,上記の遺伝子タイプは全く同じ確率で子孫を残せるわけです.
⑥島嶼部の個体群は,北海道本土あるいは大陸からの少数の個体の移住から開始
この仮定の意味は後で説明することにします.
以上の仮定を置けば,白色個体の平均的な割合は理屈上以下のようになるはずです.
以上の仮定を置けば,白色個体の平均的な割合は理屈上以下のようになるはずです.
白色個体割合 = (4/10) × (4/10) × (4/10) × (4/10) = 256/10000
出現確率はわずか2.56%,10000頭に256個体なので「非常にまれながら白色個体が現れる」ことになります.ヒグマがめったに見られないことを考えると,ほぼ観察されることはないといっても過言ではないかもしれません.
3.
「偶然」がもたらすもの
さて,次にシミュレーションの結果を示しながら,考えてみましょう.
最初に集団サイズが大きい本土について考えます.北海道本土には,10000頭のヒグマがいて,同数のオスとメスが自由に交配できどの個体も一生の間に2頭の子供を残すとします.親と子の世代の重複を無視すると,どのタイミングにおいても10000頭で個体数が安定していることになります.R言語を使って簡単なスクリプトを書くと,各世代でどのような体色割合になるのかをシミュレーションできます.
以下の図は,茶色い個体の割合を茶色で,白色個体の割合を白で示した9世代分のシミュレーション結果です(X軸に第n世代,Y軸に個体数をとって,15回同じシミュレーションを行った結果を示しています).白色個体の割合が小さいので少し見にくいですが,どの場合も,(理論的に予測されるように)世代を問わず白色個体が稀であること,白色個体の割合は安定していることが分かると思います.
次に,この本土の個体のほんの一部が,偶然,島に渡ったという状況を考えます.ここでは,仮に1万頭のうちのランダムに選ばれた10頭が島に渡り,そのまま自由交配を続けたとしてみましょう.そして,最初の9世代は,個体数の増加がなく,どの個体も2頭の子供を残すという状況を繰り返したとします.
この場合,体色割合はどのように変化するでしょうか?以下が15回分のシミュレーション結果です.
明らかに,本土の場合と変わっています.白色個体がまったくいない集団がある一方,2割の個体が白い14回目のような場合もあります,もし,白色個体が一定程度存在する状況で個体数が増加し始めたとしたら,その個体群は,白色を高い割合で含んだまま安定することになるでしょう.
では,なぜこのようなことが起こるのでしょうか?理由は極めてシンプルです.集団サイズが小さいと,「偶然」が介入する余地が増えるからです.先ほどのシミュレーションの場合,次の二つの過程で「偶然」遺伝子頻度が変化する可能性があります.
一つ目は,本土の個体が島に移住する過程です.どのような遺伝子セットを持った個体が島に移住するかは,設定上,偶然によって決まっています.本土の対立遺伝子の頻度は,A: a=6:4, B: b=6:4でした.しかし,この10頭が同じ割合で所有しているとは限りません.偶然aやbを多く持つ個体が移住することもありえます.場合によっては,ごくまれながらaabbという個体が複数個体,島に移住することもあるかもしれません.反対に,AABBの個体ばかりが移住することも起こりえます.重要なのは,二つの対立遺伝子の頻度が移住の過程で大きく変化する可能性があるという点です.こうした「少数の個体が移住したことによる確率論的な(偶然による)遺伝子頻度の変化,あるいは,この変化がもたらす,それ以降の世代の遺伝子頻度への影響」のことを集団遺伝学では「創始者効果」と呼んでいます.
「偶然」が作用するのは,これだけではありません.少数個体の場合,島で世代を重ねる過程でも「偶然」が大きく作用するのです.仮に移住してきた10頭の対立遺伝子の頻度が本土と同じA: a=6:4, B: b=6:4であった場合でも,
aやbの遺伝子を持った精子と卵子の間でたまたま受精が起こったり,(上のシミュレーションでは想定していませんが)たまたまaやbの遺伝子を持った個体が生存・繁殖に成功したりすることもありえます(もちろん,たまたまAやBの遺伝子のみが受け継がれ,白色個体が出現する余地がなくなることだってあります).集団サイズが大きいと,局所的に見れば偶然が起こり得ても,全体としてみればそうした偶然が平均化され,理論的によくされる割合で落ち着きます.しかし,少数個体だと偶然がそのまま次世代の遺伝子頻度に直結してしまうのです.こうした少数個体であるがゆえの「偶然による世代ごとの遺伝子頻度の変化」を集団遺伝学では「遺伝的浮動」と呼んでいます.
おそらく,国後・択捉に生じたのは,創始者効果や遺伝的浮動を介しての遺伝子頻度の変化であり,島に固有の環境に適応した「独自の進化」ではないと思います.例えば,14回目のシミュレーションの結果のようなことが生じたのでしょう.もちろん,本土とは異なる体色割合が生じた遺伝的メカニズムとは別に,「白色個体が生存上有利に働く島固有のメカニズム」が実際に存在し,白色個体の存続に寄与しているということはありえない話ではありません.しかし,その場合は,白色個体割合の拡大を抑制するような何らかのメカニズムを明示しない限り,説明として不十分です. 今回の八雲の白色個体も,偶然, 劣性遺伝子がホモ接合化したことによるものと考えるのが自然です.確かに「珍しい」ことは事実ですが,「驚くべき」発見ではないことは確かだと思います.
4.
科学報道と研究者
今回の「騒動」に私が違和感を覚えた一つの理由は,マスコミ関係者が分かりやすい話ばかりに飛びつき,多少なりとも頭を使わないと理解できない話には耳を傾けない傾向があるように感じたことが一つにはあります.実際,上で説明したような内容は,かなりの時間をかけて説明しないと理解しにくいものです.人間の頭は,偶然生じたことに何らかの意味や必然性を見出そうとする強い傾向があります.その意味で,「創始者効果」や「遺伝的浮動」といった「偶然」が司るメカニズムは直感的に理解を拒む側面があるのかもしれません.「白いヒグマが見つかった」
という誰も傷つかない平和な話に,そんな小難しい解説は必要ないといわれれば確かにそうかもしれません.読者や視聴者の期待するコンテンツにすることが求められる以上,マスコミに過剰な期待を抱くこと自体が誤りかもしれません.
しかし,少なくとも研究者は,そうした風潮に迎合してはいけないと思います.残念ながら,過去になされた白いヒグマ報道の専門家たちのコメントは,慎重さを欠いたように私には感じられるものもないわけではありませんでした.もちろん,世間的な注目を集めるために,意図的に分かりやすくしたり,魅力ある話として伝えたりすることも状況によっては必要かもしれません.しかし,生物学の「専門家」という権威づけを与えられてコメントする以上,世間的な分かりやすさと科学的理解のはざまで葛藤する責任があるように思います.
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