
小学校の高学年のころ,私は間違いなく「鳥屋」だった.学校にいる時以外は,鳥を野外で観察しているか、鳥関係の本を読んでいるか絵を描いているか,あるいは近くの空き地に竪穴式住居を作っているか(これは鳥とは無縁だけど)のどれかだった(ついでにサッカーもやっていた).そんな私にとっての最初のバイブルが,小学館の「鳥類の図鑑」だった。
図鑑には見たことのない、そしていつか必ず見たい多様な鳥の姿があった。とくに憧れたのが,最初と最後の見開きに紹介されていた(特別)天然記念物に指定されている鳥たちだった.まだまだ純粋だった私は、数の減った鳥たちを絶滅させないのが自分の使命なのだと信じて疑わなかった。
しかし、その中に,どうも腑に落ちないというか,子供心に違和感のある鳥がいた.アホウドリだ.鳥の減少理由と言えば、「開発による生息地破壊」であるべきだった.私の中での自然保護の範型が80年代に隆盛した自動車道建設の反対運動にあったからだろう。しかし,アホウドリと言えば,絶海の孤島に棲む鳥。一番人間の開発の影響を受けなさそうな種類なのだ。
おそらく解説文には羽毛を採取するために乱獲されたと書いてあったはずだし、アホウドリの卵を運ぶ白黒の写真が添えられていた気もする。だけど、その古びた写真の光景は、自分の住む世界と違いすぎて現実味がなかった。そもそも誰が好き好んで海に隔てられた小さな島々で羽毛を採取する必要があったんだろう?
何となく抱えていた違和感は,偶然本屋で手に取った「アホウドリを追った日本人 平岡昭利(岩波新書)」を読むことで氷解した.
じつはアホウドリの卵や羽毛,剥製の輸出は巨万の富を生む一大事業であり,一獲千金の夢を持つ日本人が我先にと南洋進出を行う動機を与えた「資源」だったのだ.アホウドリは,私が勝手に思い描いていたように、何かの開発事業のあおり受けたことによる「生息地破壊」が原因で減ったのではなかった。それ自体を捕獲する事業によって激減したのだ.逆に言えば、乱獲が事業として成立するくらい、かつては膨大な数がいたということでもある。
この本に書かれていた内容を簡単に紹介してみる.
アホウドリの資源価値にいち早く気付いたのは,江戸末期生まれの玉置半右衛門だった.彼は,明治政府が小笠原を日本に編入する際に派遣された官吏の一人であった.当時は,小笠原を含めた近隣の島々には、数百万から数千万羽ものアホウドリが繁殖していた.すぐに飛び立てない彼らは,こん棒1つで捕獲でき,その羽毛は良質で高値で輸出できた.抜け目のない玉置は早速事業化する。元手もほとんどかからない,競争相手もほとんどいない資源.その収奪事業はまさに濡れ手の粟だった.
玉置らは,あっという間に小笠原のアホウドリをとりつくす。今度は,その北に位置する「鳥」島に目を付けた.移住開墾を表向きの向きに掲げて政府から無料で借地、上陸から半年で10万羽,15年間で600万羽のアホウドリを撲殺した。そして、大儲けした。彼の年収は,少なくとも現在のお金で10億円に達し,全国長者番付にも名前を連ねたという。表向きは日本国のための開拓事業であり,玉置も「南洋事業の模範家」と新聞で評されたが,その実態は無慈悲な資源の収奪だった.
玉置をはじめとする成功者の登場は,一獲千金を狙った南洋探検に火をつける.当時は,地図が未完成だったこともあり,ありもしない島を探し求める人々や,探索の過程で偶発的に島を発見し大儲けする人も現れた.こうした探検は時の政府にとっても都合が良かった.日本人の活動実績を示すことで,国外に向けて領有のための先占権を主張できるからだ.例えば,水谷新六による南「鳥」島の発見と日本政府による領有権の獲得もそうした中で起こったことである.
やがて,海鳥の糞が蓄積されてできたリン鉱石としての価値が認識され(人造肥料の原料としてだけでなく,焼夷弾などの原料にもなる),国家や軍の後押しを受けた大資本による大規模な海洋進出が盛んとなっていく.一攫千金を狙う山師の仕事から、国家事業へと変質していったのだ。歴史を紐解けば,帝国の南洋進出の先鞭をつけたのは,すぐには飛び立てない巨鳥の存在だったということになる.
明治から大正にかけて,日本は,寝具やファッション用の原料,あるいは剥製の輸出をかなり大規模に行う「鳥類輸出大国」だったらしい.密猟輸出が多かったらしく,正式な統計に出てこないが,輸出量は年間数百万羽に達していた可能性が高いという.そのころすでにアメリカやヨーロッパでは鳥類の減少が著しく,「資源」の枯渇を防ぐために保護政策に転換しつつあった。例えば,有名なリョコウバトの絶滅は1907年のことだ.国内資源の枯渇を防ぐために保護を行う反面,資源の収奪先を途上国へと向ける.野生動物の絶滅・減少において何度も繰り返されてきたプロセスである.
おそらく日本の鳥獣保護行政も,世界的な羽毛や毛皮に対する需要の高さと,それによる国内資源の枯渇という問題の中で形作られてきたという側面があるはずだ.三浦慎吾「ワイルドライフ・マネジメント入門」(岩波書店)にその概略が述べられているが,もう少し詳細にまとめられた論文や本を読んでみたくなった.考えてみると、アホウドリだけでなく、トキやコウノトリの絶滅要因も、私が当時勝手に思い描いていたような生息地破壊ではなく、羽毛のための乱獲だった可能性もありそうだ。アホウドリの思わぬ物語のおかげで,日本の野生動物保護管理の歴史にも,ようやく個人的な興味を持てるようになってきた.
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