2020年1月5日日曜日

野生動物の保護をめぐって①


 先日,あるメーリングリストから「野生動物離れ」というテーマの研究会が開催されるという案内が来ていた.私は直接関係していないし,案内が来たのもだいぶ前のことので,その内容や日程すらきちんと把握できているわけではない.だけど,このタイトルを見たとき,少しだけ違和感を持った.私が日大に異動してから日々感じているのはこれとは全く逆のことだからだ.少なくとも表向き「野生動物に興味がある」という学生が私の周りには溢れかえっているのだ(というのは言い過ぎかな?).



 例えば,推薦入試の面接.森林資源科学科を志望した理由として頻繁に挙げられるのが「野生動物の研究をしたい」ということだ.中には用意周到にいろいろと調べてくる高校生もいて,「森林動物学の中島啓裕先生のもとで研究を…」と言っているのが隣から聞こえてきて気恥ずかしい思いをしたりする(推薦入試の面接は,いくつか机を並べて教員総出で同時並行で行う).



 野生動物に興味・関心を持つ学生が絶対数として多いのか少ないのか,あるいは増えているのか減っているのかは,よくわからない.しかし,少なからずの若者が今も野生動物の研究(というより保護・保全)に一定の魅力を感じているのは事実なようである.彼らは口をそろえて言う.「野生動物を守りたい」「自然の大切さを人に伝えられるようになりたい」「動物と共存する在り方を探りたい」と….



 こういう若者たちの言葉を聞くと私は少なからず戸惑いを覚える.というのも,彼らの保護したい対象も,そのための手法も非常にあいまいで漠然としているからだ.もちろん高校生だからそれらの点は多めに見る必要はあるだろう.だけど,私にとって気持ちが悪いのは,彼らが何故,野生動物を守りたいと思うようになったのか,そのきっかけや背景がイマイチよくわからないという点だ.彼らの多くは都会出身で,幼少期から野生動物を見る機会は限られていたはずだ.どうも私は昔から,動機が明確でない信条に対して懐疑的になる習性があるようだ.



 日大に来て早丸6年になろうとしているが,最近になって少しずつ分かってきたことがある.どうやら野生動物保護の入り口には少なくとも二つあるらしいのだ.



 一つ目は,ペットや動物園好きが高じて,野生動物の保護に至るパターン.すなわち,動物とは「かわいい」「愛おしい」存在であり,したがって彼らの生存権を奪うような行為はするべきではないという発想だ.その感覚は,動物愛護とかなり近い.もう一つのパターンは,テレビ番組がきっかけになるものだ.途上国では,今現在も大規模な農地開発や狩猟によって野生動物の生息が脅かされている.動物の視点からその実態を伝えると,意図しようとしまいと「強欲な人間による自然破壊が,貴重な野生動物の住み家を奪っている」という善悪二元論に陥りがちだ.とくに小さい時にそのような番組を見ると,「野生動物が可愛そう」「人間と野生動物の共存を図りたい」と思うのはごく自然なことだろう.



 では,実際に野生動物の研究に入っていきやすいのは,このどちらのパターンだろうか?一般には,前者の方が厄介な存在で,後者の方がより「正しい」学生の姿ととらえられるかもしれない.少なくとも,私も数年前までは,飼育動物の延長で野生動物を捉える学生に対する違和感の方が強かった.しかし,最近,どうも逆ではないかと思うようになっている.



 動物愛護的な発想を持つ学生は,動物それ自体を好きな人が多い.例えば,動物園に連れていけば,同じ動物を飽きずにずっと観察していたりする.その感覚は理屈云々以前のものだ.彼らは動物自体に興味があるから,動物の習性や生態について新しい知識を身に着けるのにも積極的だ.そして,調査地で撮影した動画を渡しても,私も気づかなかった発見をしてくれることも多い.ずっと飽きずに丁寧に見てられるからこそ可能なのだろう.そうなると,色んなことを勉強するモチベーションが湧いてくる.野生動物の保護をめぐる複雑な社会問題についても,その過程で知るようになる.彼らの野生動物への関心には「実体がある」のだ.



 反対に,テレビ番組から入った学生は,観念論的に野生動物を捉える傾向がある.彼らが小さいころに見たテレビ番組の善悪二元論の構図を,日本の野生動物にもそのまま当てはめようとする.彼らに言わせれば,クマが人里近くに出てくるのは「山が荒れているから」で,「人が彼らの棲家を奪ったから」なのだ.いろんな事象は,すべてその構図にのっとって理解され説明される.彼らの論理は一見明快で,よく勉強しているようにも映る.しかし,そこには実体がない.野生動物を取り巻く問題は,明快な論理で語られるほどシンプルなものではなく,場所が異なれば問題の構図も解決策も異なる複雑怪奇な事象だ.彼らが想定している野生動物の保護問題は,そのどれでもない.



 もちろん,入り口がどちらかが重要なのではない.テレビ派にも,ちゃんとした管理の必要性を理解するものもいる.また,愛護派とテレビ派に綺麗に二分できるわけでもない.だけど,学生たちには,(野生動物に関する問題でもそうでなくても)自分の信条がどこに由来するのか,それが本当に事実に基づいた実体あるものなのかを精査する機会を持ってほしい.そして,「野生動物の保護が大事」というのは一つの価値観に過ぎず,個人的な思想信条の域を出るものではないということを十分認識して置くことも大事だと思う.「人の生存権」は,近代以降の社会における「公理」だ.しかし,野生動物の生存権は,人の生存権としばしば対立する以上,公理にはなりえない(前半終了,後半へ).

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