2020年1月5日日曜日
野生動物の保護をめぐって②
先のブログで,野生動物の保護・保全に関心を抱く学生には少なくとも二つのパターンがいると書いた.ペットや動物園の動物が入り口となるパターンと小さいころに見たテレビ番組が入り口となるというパターンの二つだ.そして後者の学生は,しばしば実態を十分に顧みることもしないで,「人間―野生動物」を「善悪二元論」で捉えがちであるという問題を指摘した.もちろん特定の誰かを想定してこの文章を書いているわけではないので,もし学生諸子がこの文章を読んだとしても,「自分のことを批判されている」とは思わないでほしい.
さて,ではかく言う私はどうなのか?私は,「どちらでもない」と言いたいところだが,ある点を除けば,どちらかというと後者に近かったという気がしないでもない.これまでの限られた経験から,野生動物問題が「善悪二元論」では片づけられない問題であることを経験的に知ったに過ぎないともいえる.批判的な文章を一方的に書くだけだと卑怯なので,私が野生動物に興味を持つようになった経緯を少しだけ書いておきたい.結果的に批判していた学生たちへのメッセージになったらいいと思う.
私が生き物に興味を持つようになったのは,五つ年の離れた兄と両親の存在が大きかった.兄が昆虫少年だったこと,両親ともそういうことに理解があったこともあり,私が物心つく頃には,家には昆虫の本や図鑑があふれていた.家の本棚には,北隆館の「原色昆虫大図鑑」や牧野富太郎の植物図鑑が並んでいた.兄の世代(団塊ジュニア)の頃は,夏休みの宿題に昆虫標本の作成が出るのが普通な時代で,夏の前にデパートに行けば,しっかりとした昆虫採集セットや桐製の標本箱が手に入ったらしい.私が小学生の頃にはそうした文化は失われていたような気がするが,家には兄のおさがりの本や採集器具,標本作成セットがたくさん残されていた.
そういう環境で育った私が昆虫に興味を持つのはごく自然なことだった.毎年季節になると,兄から教えてもらった近所の採集スポットを回って虫捕りをするのが日課だった.例えば,イチジクが数本生えているだけの場所で,キボシカミキリやクワカミキリといった大型のカミキリムシが採集出来ることを知ったし,少し離れた川まで行けば,タイコウウチだらけの場所があることも知った.私は次第に,昆虫採集記録を付けるようになった(昆虫標本は,色々と経緯もあって次第に作らなくなった).
こうした私にとって虫捕りができる環境があるということは,大げさに言えば死活問題だった.生まれ育った地域(兵庫県明石市)は,いわゆる都市近郊農村の性格を持っていた.起源は江戸以前に遡る古い村なのだが,私の成長とともに少しずつその姿を変えていっていた.例えば,近くの田んぼで進められた土地区画整理事業は,アスファルトの農道を整備し,自然な曲線を描いていた田畑を真四角の人工的なものに変えていった.その後もさらに神戸のベッドタウンとしての開発が進み,徐々に整備後の田畑も宅地へと置き換わっていった.私には土地を売りやすくするための整備事業にしか見えなかった.
目の前の光景の変化を,私が「自然破壊の進行」ととらえたのは無理からぬことだろう.実際,兄の頃には普通だった昆虫が区画整理や宅地開発の進行とともに,徐々に捕れなくなっていった.家の近くの溝にいたゲンジボタルは用水路がコンクリートになって消えてしまったし,兄の頃には田んぼで捕れていたコオイムシはいなくなり,ある時期からは普通種のコシマゲンゴロウさえ見かけなくなった.非常にショボいレベルでだが,ほんの十数年の間に「生物多様性」は目に見えて低下していったのだ.
捕れるはずの虫が捕れないという悲しさと,テレビ番組で放映されていた自然破壊が無意識に結びついていくのは,やはり無理のないことだろう.もちろん,私が体感していた身近な自然の喪失と,テレビで放映されるような問題とは少なからず距離がある.しかし,小学生の私にそれを峻別できるだけの力が備わっているはずもない.人間と自然の対立という図式は,その分かりやすさだけではなく,自らを正義の立場に位置づけられるという点においてもこの上なく魅力的なものであった.悪ガキだった小学生の頃の私は,「自然を守る」と称して,圃場整備中のブルドーザに悪さをしようと画策したり(実際には怖くてやらなかったけど),近くの海で(鳥の足の切断の原因となる)釣り糸を回収したりと,「自然を守る戦士」をもって任じていたのだ.
このように,私はある時期(小学校六年生くらいがピークだと思う),「自然を保護したい」という今も多くの学生が口にする言葉を真剣に語っていた.小学校の卒業アルバムにも,将来の夢として「何らかの形で自然を保護したい」と書いている.野生動物の保護を志す学生には,動物愛護からスタートするか,テレビ番組からスタートするか,どちらかの学生が多いと書いたが,私は動物愛護という感覚は正直ほとんどないので(むやみに殺していいとは全然思わないけど),あえて分類すれば,テレビ派に近しいということになるかもしれない.違うところがあるとすれば,「自然を守るべき」という信条を持つにいたったのには,明確な実体と動機付けがあったということだろう.
実体ある思考は,物事の実態を把握するのを大いに手助けしてくれる.私が「自然は守るべき」という価値観が,それほど普遍的な正義でもなければ,善悪二元論で語られるべき単純な問題でもないことを知るようになるのには,それほど時間がかからなかった.
今でも忘れられないのが,滋賀県のある町にあるトンボを探しに行ったときのことだ.例によって区画整理事業がなされた後で,少し前の地図にあったため池がなくなっていた.ため池の後には,その記念碑が立てられていた.私は本当にがっくりして,その場を立ち去った.しかし,近くの集落を歩いていた時に目に私の目に飛び込んできたのは,「田んぼは四角く心は丸く」と書かれた古びた看板だった.「そうか,自分にとって区画整理事業は害悪でしかないが,ここの村の人の昔からの願いなのだ…」.当時の私には,事業を積極的に進めたいという人がいるという厳然たる事実を突きつけられたような気がして,世間が単一の価値観で出来ているわけではないことを妙に納得したのだ.
自然保護,いや生物そのものの複雑性を認識するようになったのには,こうしたフィールドでの体験とともに,私が小学生のころから好きな動物写真家・宮崎学の著作の影響も非常に大きかった.宮崎学は,私が本を読むようになった1980年代後半から90年代の初めから,一貫して新世代の野生動物の出現と個体数の増加を訴えていた.彼は,動物は人間の活動によってただ個体数を減らすだけではなく,巧みに人間環境を利用するしたたかものであることを明確に捉えていた.当時から,どちらかというと人づきあいがうまくできず,周囲からも常に少し浮いた存在であった私には,世間の人がそれに気づいていない間に,動物がちゃっかり人を利用しているということが非常に魅力的に写ったのだ.
事態の複雑性を認識することは,残念ながら,問題解決へのモチベーションには直結しない.むしろ,物事を知れば知るほど,純粋な動機付けが失われていく.私も中学・高校を経る間に「動物を守りたい」という思いは薄まっていった.いろいろ悩んだ挙句,自分のアイデンティティの一つでもあった生物の研究を最終的に志したものの,今も野生動物関係の研究をしながら,保護や保全の問題を真正面から扱おうとも思えない.実態がどうなっているのかを客観的に捉える手法開発に関心が向くのは,保護や保全という問題の根幹にある複雑性を無意識に回避しようとしてしまうからだと思う.
動物の保護という志を実現できたかという点では,私は決して褒められた存在ではない.野生動物と人間の共存にほんの少しでも貢献できているのかもよくわからない.少なくとも直接的寄与は皆無だといってよい.そんな私から学生たちに言えるたった一つのことは,「自分の持っている価値観(例えば「動物を守るべき」)が本当に実態に即したものかを現場に立って目で見て感じて考えてみてほしい」ということだ.私もボルネオ・アフリカと経験を積む中で,初めて見えてきたものがある.環境問題は,実際は人間関係問題であり,その面倒でややこしい人同士の利害の対立をどうやって緩和するかが一番の課題だ.一つの価値観の妥当性を訴えて世の中を変えたいと思うならば,政治家になるか官僚になるかNPOで働くかのどれかだろう.中々そこまでの覚悟はできないかもしれないし,すぐにしなくてもよい.しかし,もし野生動物の保護・保全をしたいというのなら,少なくとも世界の色んな実情を,身をもって体験してほしいと思う.私が言うのは何だが,大学で授業を受けるよりもはるかにそっちの方が貴重な体験になるはずだ.
野生動物の保護をめぐって①
先日,あるメーリングリストから「野生動物離れ」というテーマの研究会が開催されるという案内が来ていた.私は直接関係していないし,案内が来たのもだいぶ前のことので,その内容や日程すらきちんと把握できているわけではない.だけど,このタイトルを見たとき,少しだけ違和感を持った.私が日大に異動してから日々感じているのはこれとは全く逆のことだからだ.少なくとも表向き「野生動物に興味がある」という学生が私の周りには溢れかえっているのだ(というのは言い過ぎかな?).
例えば,推薦入試の面接.森林資源科学科を志望した理由として頻繁に挙げられるのが「野生動物の研究をしたい」ということだ.中には用意周到にいろいろと調べてくる高校生もいて,「森林動物学の中島啓裕先生のもとで研究を…」と言っているのが隣から聞こえてきて気恥ずかしい思いをしたりする(推薦入試の面接は,いくつか机を並べて教員総出で同時並行で行う).
野生動物に興味・関心を持つ学生が絶対数として多いのか少ないのか,あるいは増えているのか減っているのかは,よくわからない.しかし,少なからずの若者が今も野生動物の研究(というより保護・保全)に一定の魅力を感じているのは事実なようである.彼らは口をそろえて言う.「野生動物を守りたい」「自然の大切さを人に伝えられるようになりたい」「動物と共存する在り方を探りたい」と….
こういう若者たちの言葉を聞くと私は少なからず戸惑いを覚える.というのも,彼らの保護したい対象も,そのための手法も非常にあいまいで漠然としているからだ.もちろん高校生だからそれらの点は多めに見る必要はあるだろう.だけど,私にとって気持ちが悪いのは,彼らが何故,野生動物を守りたいと思うようになったのか,そのきっかけや背景がイマイチよくわからないという点だ.彼らの多くは都会出身で,幼少期から野生動物を見る機会は限られていたはずだ.どうも私は昔から,動機が明確でない信条に対して懐疑的になる習性があるようだ.
日大に来て早丸6年になろうとしているが,最近になって少しずつ分かってきたことがある.どうやら野生動物保護の入り口には少なくとも二つあるらしいのだ.
一つ目は,ペットや動物園好きが高じて,野生動物の保護に至るパターン.すなわち,動物とは「かわいい」「愛おしい」存在であり,したがって彼らの生存権を奪うような行為はするべきではないという発想だ.その感覚は,動物愛護とかなり近い.もう一つのパターンは,テレビ番組がきっかけになるものだ.途上国では,今現在も大規模な農地開発や狩猟によって野生動物の生息が脅かされている.動物の視点からその実態を伝えると,意図しようとしまいと「強欲な人間による自然破壊が,貴重な野生動物の住み家を奪っている」という善悪二元論に陥りがちだ.とくに小さい時にそのような番組を見ると,「野生動物が可愛そう」「人間と野生動物の共存を図りたい」と思うのはごく自然なことだろう.
では,実際に野生動物の研究に入っていきやすいのは,このどちらのパターンだろうか?一般には,前者の方が厄介な存在で,後者の方がより「正しい」学生の姿ととらえられるかもしれない.少なくとも,私も数年前までは,飼育動物の延長で野生動物を捉える学生に対する違和感の方が強かった.しかし,最近,どうも逆ではないかと思うようになっている.
動物愛護的な発想を持つ学生は,動物それ自体を好きな人が多い.例えば,動物園に連れていけば,同じ動物を飽きずにずっと観察していたりする.その感覚は理屈云々以前のものだ.彼らは動物自体に興味があるから,動物の習性や生態について新しい知識を身に着けるのにも積極的だ.そして,調査地で撮影した動画を渡しても,私も気づかなかった発見をしてくれることも多い.ずっと飽きずに丁寧に見てられるからこそ可能なのだろう.そうなると,色んなことを勉強するモチベーションが湧いてくる.野生動物の保護をめぐる複雑な社会問題についても,その過程で知るようになる.彼らの野生動物への関心には「実体がある」のだ.
反対に,テレビ番組から入った学生は,観念論的に野生動物を捉える傾向がある.彼らが小さいころに見たテレビ番組の善悪二元論の構図を,日本の野生動物にもそのまま当てはめようとする.彼らに言わせれば,クマが人里近くに出てくるのは「山が荒れているから」で,「人が彼らの棲家を奪ったから」なのだ.いろんな事象は,すべてその構図にのっとって理解され説明される.彼らの論理は一見明快で,よく勉強しているようにも映る.しかし,そこには実体がない.野生動物を取り巻く問題は,明快な論理で語られるほどシンプルなものではなく,場所が異なれば問題の構図も解決策も異なる複雑怪奇な事象だ.彼らが想定している野生動物の保護問題は,そのどれでもない.
もちろん,入り口がどちらかが重要なのではない.テレビ派にも,ちゃんとした管理の必要性を理解するものもいる.また,愛護派とテレビ派に綺麗に二分できるわけでもない.だけど,学生たちには,(野生動物に関する問題でもそうでなくても)自分の信条がどこに由来するのか,それが本当に事実に基づいた実体あるものなのかを精査する機会を持ってほしい.そして,「野生動物の保護が大事」というのは一つの価値観に過ぎず,個人的な思想信条の域を出るものではないということを十分認識して置くことも大事だと思う.「人の生存権」は,近代以降の社会における「公理」だ.しかし,野生動物の生存権は,人の生存権としばしば対立する以上,公理にはなりえない(前半終了,後半へ).
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