2021年7月29日木曜日

久しぶりの房総調査で感じたこと

先日,7月8日から10日まで,久しぶりに房総半島での調査に行ってきた.そこで感じたことを忘れないうちに書き綴っておきたい.


私が研究室の調査に参加するのは,今年度で2回目だ.研究室全体では,軽いもののも含めて全部で6回調査に行っているので,その半分にも参加できていないということになる.もちろんリスクの大きい調査や初めての場所での調査には必ず同行しているが,いろんな意味で,私の調査チーム内での立ち位置や役割が代わってきていることは間違いない.今回の調査は,それを改めて感じさせられる機会だった.


日大に来た当初,内心,「ここは私立大学だから調査研究を続けるのは難しいだろう」と諦めていた.実際私大に就職した先輩たちの話を聞く限り,皆が口をそろえて忙しすぎて研究できないと愚痴を言っていた(他のところはそうなのかもしれない).しかし,ふたを開けてみると,日大の教育・研究環境は非常に恵まれていた.もちろん,かつてのような長期海外滞在型の研究は時間的に難しいが,国内の調査地であれば学生と力を合わせて大規模な調査を行うことだってできる.研究室に入ってくる学生も,(お世辞にも偏差値的な意味での優等生とは言えないが)素直で体力にありふれたエネルギッシュだ.学生を捕まえてうまい具合におだててそそのかせば,そこら辺の木のてっぺんまで簡単に登っていきそうな勢いなのだ.


日大の良さに気付き始めたころ,卒論の一つがうまい具合に発展し,北海道の演習林で本格的な調査が始まった.同時に,科研やいろんな研究助成に試しに出してみたら運よくすべて当たるということが続き,群馬の武尊山,水上演習林,対馬,さらにはカメルーンやキューバでも自動撮影カメラを使った研究を行うようになった.東大のM先生との知遇を得たこともあって,房総半島で本格的な調査を行う機会も得た.所属大学の良さを自覚できたと同時に,いろんなチャンスが舞い込んだのだ.ここ数年は,房総の調査に集中するために調査地の数を減らしてはいるが,その分多くのエネルギーを一つの調査(房総)に割くようになっている.


この間,研究室の調査における私の立ち位置は,知らない間に随分と変わってきたらしい.


こちらに赴任した当初は,私はスーパーマンのようだった(と少なくとも自分では思っていた).カメラの設置計画を事前に立て,GPSの中にデータを転送し,カメラの設定を行い,調査道具を準備し,レンタカーを借り,調査に行ったら誰よりも早く長い距離を歩き,帰ってきたら自分で手を動かして片づけをしていた.


自動撮影カメラの設置に関しても,設置箇所のランダム性にこだわり,コンピュータが決めた地点に可能な限り従おうとした.アクセスが難しかったり危険だったりする場所には自ら設置に赴き,何とかいいデータを取ろうとしていた.しかも,私には調査面積を可能な限り大きくしようとする一種の癖があって,毎回限界まで身を削って調査をするのが当たり前だった.自分が決めた一番しんどそうな計画を,自分が一番しんどい目をして遂行する.私も学生もそれを当然と捉えていた.


しかし,大学院生を持つようになってからは,少しずつ状況は変化してきた.調査の準備や片づけなどの雑用は,彼ら彼女らにすべて任せられるようになったし,調査の行程や班編成なども学生が主導して決めてくれるようになった.さらに,RやGISなども自由に操れる学生が現れ,簡単なデータ整理や解析も任せられるようになった.昔に比べれば私が頑張らなければいけないことが格段に減っている.随分と楽をさせてもらっている.


その一方で,私が「心配する量」はそれに反して増え続けている.学生が持ってくる卒論計画を見て考えることも,昔は「もっとちゃんとした研究に出来ないか」とか「もっと頑張ってサンプルサイズをでかくできないか」ということだったのだが,今は「安全に調査できるか」とか「調査のうえで発生するリスクをどう管理するか」みたいなことばかりだ.いざ野外に出ても,学生が怪我しないかということばかり気にしてしまう.学生の多くは都会育ちで,森の中で過ごすことに慣れていないことが多い.植物にかぶれたり,虫に刺されたりという小さなトラブルが絶えず起こる.幸いちょっと薬を塗っていれば治る程度のものばかりだが,それでもこちらとしては色々と配慮しなければならない.私のモノの見方・捉え方が「管理する側のそれ」になってきたということだろう.


こうした変化はある意味で当然のことだ.ただ難しいのは,この手の不安や心配は自己増殖しがちで,「安全」の大義名分のもとに,どんどん学生の自由を制限せざるを得なくなることだ.そして最終的にたどり着くのは,一切のリスクを冒さない,安全で安心でどこまでも生ぬるい体制だ.それを避けて学生に自由を与えるためには,管理する側がどこかで覚悟を決めなければならない.


今回の調査でも,割とリスクが大きいが場所を学生と一緒に歩きながら,その線引きをどの辺にするべきなのかということばかり考えていた.リスクを言い出せばきりがない.倒木の下敷きになる可能性だってあるだろうし,お寺から逃げ出したトラの餌食になる可能性だってゼロではない(昔,君津でトラが脱走した事件があった).だけど,そういうことを言いだすなら,野外調査なんか無理しだしどこかのシェルターに身を潜めておいた方がいい.


自分が管理する側に置かれていることにふと気づくとき,何とも言えない寂しい思いがする.少なくとも私にとって「どの辺が限界なのかを自分の感覚と経験に照らし合わせながら,そのマックスを行く」というのが野外調査の醍醐味だったからだ.伸るか反るか自分次第,失敗しても自己責任.とくに大学院の時のように自分のことだけを考えていれば良かった昔の調査が懐かしい.そして,無限の自由と自己責任を許してくれた京大の研究室に改めて感謝だ.安全・安心の名のもとに締め付けばかりが厳しくなるこの世の中で,自分がどんな風に振る舞うべきなのかは,当面の大きな課題になりそうだ.

自動撮影カメラを仕掛ける.いったいこの作業,何回やってきたのだろう...