コロナの影響もあって,去年は全くブログを更新できなかった.まあ,読んでる人は少ないから別にいいのだけれど.
パソコンのファイルを整理していたら,去年の卒業生への祝辞が見つかったので何となくアップ.改めて読むと恥ずかしいけど.
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皆さん,卒業おめでとうございます.
新型コロナウィルスという不測の事態のために,通常の卒業式や謝恩会などを行うことが出来なくなってしまいました.担任から祝辞を述べる機会もなくなってしまったので,ここに一言餞の言葉を述べさせていただきます.
私がこちらの大学に来て,もう6年が経とうとしています.皆さんが入学された年に私はまだ教員としての経験が2年間しかなかったということです.
それまでの私はずっと海外で動物の調査・研究を行っていました.マットとシュラフだけを広げた簡素なテントで寝泊まりし,サーディン(イワシ)缶とトマト缶,不味いインディカ米だけを頼りに毎日を過ごしていました.電気ももちろんなかったので,夜は灯油ランプを手掛かりにデータの整理をし,朝はエボシドリのけたたましい鳴き声に目を覚ます日々を送っていたのです.
こう書くと健康的?で余裕のある生活をしていたように聞こえるかもしれませんが,現実はそう甘くはありませんでした.世の中,どこに行っても一番厄介なのは人間の存在です.調査アシスタントとして雇用していた現地の村の人たちとのやり取りがいかに難しいものであったかは,これまでにも授業等でお話ししたことがあったと思います.わずか数百人の村なのに,殺人,傷害,窃盗,自殺,病気から幽霊の出現にいたるまで,ありとあらゆる騒動がパンドラの箱を開けたように頻繁に起こり,それが私たち研究者の身に降りかかってくるのです.
生活を始めた当初は,ただただ苛立ちと憎しみに近い感情を現地の村の人たちに抱くばかりでした.しかしフランス語も少しずつ覚え,彼らとコミュニケーションをとって分かったことがあります.それは,彼らの社会の無秩序は,ある意味個々人の正直さから来ているということです.彼らは,自分の立場からしか物事を捉えません.問題が生じたときに話し合いをしても,みんなが自分の立場を主張するばかりで,やがて収集がつかなくなります.彼らに徹底して欠けているのは,相手の立場に立ったり,村全体にとっての利益という観点から物事を捉えたりするという発想なのです(彼らがそうなってしまっているのには歴史的,政治的あるいは経済的な背景があり,その背景に先進各国の人が一定の責任を負っていることも事実だと思いますが,それについてはここで書きません).
翻って,日本大学に来て以降の6年間に私が感じたことは,まったく反対のことでした.我々森林資源科学科には独特の(いや,日本という国全体にある程度は当てはまる)風土があります.それは,学生の大半が大人しく地味で真面目で,何より「空気を読む」をことに長けており,日常的な人間関係や利害の調整が「暗黙の了解」によって支えられているという点です.学生の中には,自分の視座に立って物事を捉えることを端から放棄している人もいるようにさえ見えます.そして,「空気を読んだ振る舞いが出来ること」「周囲に迷惑を掛けないということ」を自らの長所と言う学生もたくさんいます.しかし,自分のわがままを堂々と主張する人間ばかりが構成する社会も不自由であれば,自ら話すべき意見を持たない,あるいは意見を伝えるための手段を欠いた人が構成する社会も,やはりどこか奇妙で息苦しい世界ではないでしょうか?
二つの極端な世界を経験した私から皆さんに言えることは,次の二つのことです.
一つは,自らの頭で考えることを放棄しないでほしいということです.空気を読みそれに従うのは,自ら考えるのを止めることです.反対に,自分の利益ばかりを主張するのも,やはり自ら考えることを捨てた態度です.思考の停止は,持って生まれた感性や培った経験を自ら否定することに他なりません.社会に出れば,これまで以上に一層強い同調圧力があなたたちに働くことでしょう.「上の意向」を忖度せざるを得ないことも増えるはずです.それでも常に一歩下がって,自らはどう思うかを問うことを忘れないでください.もちろん時には,「面従腹背」することも必要かもしれません.大事なのは,空気に身をゆだねず,組織の中に埋没せず,周囲に同調するように見せながらも,自らの固有性をどこかに隠し持っていることです.
もう一つ伝えたいのは,言葉の力を信じることです.「暗黙の了解」が期待できるのは,共通の倫理基盤を持った相手だけです.これからの日本では,移民その他の形で,共通の倫理基盤を持たない人が隣人になります.海外に出かけて行って,日本人以外の人と接する機会も多くなるでしょう.彼らが少なくとも最初から「暗黙の了解」に従ってくれることを期待してはいけません.彼らは,彼らが生まれ育った社会固有の規範に基づいて暮らしています.もしあなたにとって不快と感じることがあったならば,言葉によってそれを説明し,明示的にお互いの了解点を探らなければいけません.そこで必要なのは,空気を読む力ではありません.自らの立場を論理的に説明できる能力です.
改めて,皆さん,卒業おめでとうございます.甘やかされてきた学校生活をようやく離れられますね.社会の厳しさに翻弄されない程度に頑張ってください.日本には,まだ皆さんの大学生活のような緩やかな世界が残っています.現実に疲れたときは,緩やかな世界に遊びに来てください.
元気で行こう.絶望するな.では,失敬.
2020.3.25.
中島啓裕